「罪と罰」のロージャ・ラスコーリニコフとソーニャの物語を思い返したとき、あるいは「めぞん一刻」の響子と五代の物語を思い返したとき、なぜ感動するんだろうかと考える。言葉にはしづらいが、あえて言うならそれは運命だから。ソーニャがロージャの心を救い、五代が響子の心を救ったから。
宿命(さだめ)という言葉をよく使ったのは小林秀雄である。僕たちは好きに生きているわけじゃない、定められて生きているのだ。日本人として日本に生まれ、日本語を喋り、この親のもとに育ち、この学校のもとに学び、この友達や恋人と遊び、この仕事をして食っていく。注意してほしいのだが、自分のつらい宿命をよいものだと信じ込めと言っているのではない。つらければ別の道を行けばよい。ただ、別の道を行くまでは、つらい道を歩くことになるというのは一個の事実だ。この広大な世界の中で、ほかでもない彼や彼女と邂逅し対話したことは、僕の自由でなく偶然にすぎないことも一個の事実だ。その事実から目を背けないでいれば、やはり僕たちは宿命のもとに生きているということになる。運命は定め、つまり、自由でないというだけの意味だ。
運命はほとんどの場合、僕たちを苦しめる。ただ、もし、運命が僕を救ったとしたら、それはなんなんだろう?
最近、TVドラマ化して大ヒットした海野つなみの「逃げるは恥だが役に立つ」という漫画がある。大学院まで出たが就活に失敗して派遣社員や家事代行をしている女主人公のみくりちゃんが、IT企業に務める真面目なメガネの津崎平匡さんと「契約結婚」をする物語である。僕はもともとこの漫画の原作ファンだったのだけれど、TVドラマもまあ楽しく観れた。だが、原作のよさはTVドラマで表現し切れていないし、新垣結衣は美人すぎると思うし、原作そのものも終盤には不満が残る。それは本題でないからさておいて、「逃げるは恥だが役に立つ」は基本的に恋愛漫画でないものの恋愛漫画としても面白いので、その部分を見てみる。
みくりと津崎の終盤の会話で、この淡白なあっさりした雰囲気の漫画中唯一感動するシーンがある。(ネタバレ注意)
「じゃあ私のいいところって何ですか?」その後、夜のベッドで天井を見上げながら、みくりは「時間差でなんか泣けてきた」と涙ぐむ。初めての彼氏に言われた言葉が「小賢しいんだよ」だったのだ。
「そうだなあ…。楽しく暮らす工夫をするところと打てば響く頭の良さかな。そういうところ凄いなって思います」
「えー小賢しいとか思いません?」
「小賢しい? それって相手を馬鹿にする言葉ですよね。僕はみくりさんを馬鹿にしたことはないです」
(気にしてないつもりでもずっと棘になって刺さってたんだ。まるで呪いのように。平匡さんは自分では全く自覚がないんだろうけど、今日その呪いを解いてくれたんだよ。TVドラマ化にあたってドラマスタッフに「みくりちゃんは小賢しい感じでいきます」と散々言われて、みくりを小賢しいと思っていなかった作者が、みくりへのプレゼントとしてこのシーンを入れた。それは結果的に物語の白眉というべき素晴らしいものになった。多少クリエイター的な視点になってしまうが、ぜひ注意してほしいのはこの作者の登場人物に対する優しい目だ。神が人を愛するように、作者は登場人物を愛する。ドストエフスキーもロージャを愛したから彼にしては驚くべきほどハッピーエンドなエピローグを書いたのだし、高橋留美子も響子を愛したからあの感動的な結末を描き切った。
人と関わると無自覚に人を傷つけたり傷つけられたり、逆に無自覚な言葉で人を救ったり救われたりする)
(もしかしたら、つづく……)
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