2017/08/06

「君の名は。」の感想

新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」は、昨年(2016年)映画公開されて大ヒットしたが、わたしも昨年末に映画館で観た。面白いと思った。

だから、Amazon ビデオで配信されたときも配信開始日に2500円を出して購入して、すぐ仕事終わりに2日かけて観直した。2度観ても、3回観ても、まだ面白いと思った。


「君の名は。」はご存知のように大ヒットしたアニメだ。あまりにヒットしすぎたために、浅薄な「感動した」というコメント以外は批判的な意見の方をよく見る。しかし批判も浅薄だとしたら、まともなコメントなんて全然ないことになる。こういう作品の感想を書くのはどうにも難しく、観たその日のうちに文章にはしたもののずっと寝かせていた。

あえて、まず「君の名は。」の欠点をあげていこう。大きく分けて、3つある。

1 いつものテーマ

新海誠監督の映画を知っている人からすれば、「村上春樹的な恋愛の喪失を描き続ける、映像と光の表現が抜群にうまいセカイ系アニメ監督」という認識があるだろう。それだけだ。彼の作品にテーマはほかにあるようでない。恋愛の喪失というテーマだって、昔の村上春樹を読めば十分じゃないか? その意味で「君の名は。」は一見創造性に欠けるように見える。

2 焼き直し

「君の名は。」は、相変わらず新海誠カラーのアニメだ。最初から最後まで。極端な話、「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル」を観ればいい。ただもっとお金と技術をかけて、もっとエンターテインメントになっているだけだ。新海誠原理主義者の中には、今作のメインスタッフ田中将賀や安藤雅司のカラーが含まれ、エンタメ化が進んだ本作を、むしろ評価しない人もいそうだ。「君の名は。」でなければならないものは、ないように見える。

3 稚拙な脚本

脚本は新海誠。「君の名は。」を映画館で観たときも、家で独りで観たときも、鑑賞しているこちら側が恥ずかしくなるようなシーンがいくつかあった。まるで子どもの学芸会を観ているみたいに。

「君の名は。」が大ヒットした時期、ネットでは「君の名は。」の改変コピペが流行った。
A「もしかして…」
B「私たち…」
A・B「「入れ替わってる~~!?」」

このコピペだけを読むと、詩的表現を好む三流ライトノベル作家と新海誠がどう違うか、分からない。物語としていろいろ突っ込みどころがある。代表的なのは、物語中盤にある衝撃的な仕掛けが知らされるのだが、入れ替わった本人たちが毎日生活していてその事実をずっと気付かないでいるのはありえないという点だ。ひどい部分だけを切り抜いて評価すれば、ひどいアニメであるように見える。

飾り

新海誠の映像は、相変わらず、現代アニメの最高峰といっていいほど素晴らしい。くさいところがあるとはいっても、「恋愛の喪失」表現も変わらずよい。安藤雅司を作画監督に迎えて、作画のクオリティも非常にしっかりしている。BUMP OF CHICKEN 原理主義者のわたしからすれば RADWIMPS というミュージシャンに特に関心は抱けなかったんだけど、そんなことはさておいて、かつて "新海のアニメ「秒速5センチメートル」は主題歌「One more time, One more chance」の極めて優れた PV である" と評されたように、「君の名は。」でもアニメ中の音楽の使い方は抜群に巧い。こういった点は、過去の新海誠作品でも同じだ。極論、これらはすべて飾りにすぎない(とはいえ、飾りが語り出すところに芸術がある)。

では、「君の名は。」のどこが面白いか。そんなもの観てみろの一言なのだが。観た上で面白くないと言うなら知ったことではないのだが。

1 物語の構造

「君の名は。」でもっとも衝撃を受けるのはその物語の構造である。なるほど脚本だけなら、いささか稚拙で穴があるし、「SF 的仕掛けを使った典型的な入れ替わりからのラブストーリー」にすぎない。

普通、2時間の映画というのは起承転結、もしくは三幕構成(序破急)といわれるようなドラマとしての分かりやすい構成がある。ところが、「君の名は。」の物語の構造は完全に狂っている。盛り上がりの箇所が複数ある。

まず、主人公たちが入れ替わりに気付いたあと、RADWIMPS の曲とともにスピーディに進む展開。普通ならこの展開のままいろんなドラマを見せるが、新海はこの部分を早送りにしてすぐに幕を閉ざす。次の盛り上がり(というか「転」のような場面)は、入れ替わりの"終わり"。そして、男主人公の立花瀧が、女主人公の宮永三葉とその故郷に関する衝撃的な事実を知る場面。そして、再び入れ替わる場面。そして、宮永三葉が立花瀧に組紐を渡す場面。そして、やっと2人がかたわれどきに出会う場面。そして、宮永三葉が手のひらに書かれた文字を見るシーン。そして、数年後のシーン。そして、本当に最後のシーン。何回、「そして」と書いたんだ。

「とりあえず感動させる場面をいっぱい入れてやれ」という商業的発想ともいえる。近年のこの物語の構造は、連載漫画における引き伸ばしの手法に端を発しているか。が、ここまで1個の物語の中に詰め込んでおきながら、全体として均衡のとれたストーリーとして成立しているのは、どれほど脚本に稚拙さが残っていても──褒めたい。これだけ感動的なシーン群を構築するのは、メタフィクショナル的な試みがなされているといっていい。こうした物語の重層化は、実は近年の物語の流行りといってよいんだけれど、「君の名は。」はかなり意識的に、かなり徹底して、それをやっている。

ドラマはもはや1つの起承転結を切り取るだけでは駄目だというのが、現代の物語の課題である。私たちの人生はもっと複雑でもっと多面的でもっと深層があって、1個の事件の解決はそれ自体本当の幸せも本当の真理も得られない。

2 入れ替わりの説得力

恋愛物語で重要なのは、「なぜ彼(彼女)は彼女(彼)でなければならなかったのか」という運命的な説得力があることだ、と思う。「君の名は。」では、入れ替わりという仕組みが、(新海自身はあまり意識していなかったかもしれないが)結果としてうまく働いている。入れ替わってしまうと、私はあなたであなたは私だ。あなたの生活は私の生活で、あなたの幸福は私の幸福で、あなたの暗闇もまた私の抱える暗闇だ。

ボーイミーツガールものであると同時に、「君の名は。」は災害の物語でもある。参照⇒ 【3.11】『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」。監督はむしろ災害の物語としての説得力と入れ替わりを結び付けている。重層化された物語ははっきり区切られているわけでなく、シームレスにつながっている。主人公たちの恋愛と町の災害は関連しているというか、ドラマの中ではほとんど一心同体のようでさえある。これはセカイ系の特徴でもあるが、あなたの抱える暗闇を私も抱えようというヒューマニズムの問題なのである。

3 この作品の背後にある製作者たち

新海誠はほとんど自分一人で「ほしのこえ」を作った。しかし、「君の名は。」は、どう見ても新海誠カラーの映画ではあるものの、たくさんのスタッフが関わってその手形を残している。特に安藤雅司、田中将賀、RADWIMPS、主演声優 の頑張りを忘れることはできない。そして、彼らの仕事をうまく自分の映画に取り込んでいる新海の手腕も。新海誠だけなら味のない炭酸水みたいなものだが、彼らのカラーによって、いい感じに見やすく楽しいエンターテインメント作品になっている。

結語

素直に傑作だと思う。ただ、普通の人よりもクリエイターたちに見てもらいたい。

この作品を悪く言うのは簡単なんだよね。そしてそれは基本的に一理ある。それでもその完成度は興行成績の数字が物語っているだろう。

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