I 当麻
まずは、「当麻」。これは次のような一文から始まる。
梅若の能楽堂で、万三郎の「当麻」を見た。恐ろしくシンプルな感想文の始め方だ。
当麻(たえま)というのは世阿弥が書いた1400年頃の能で、僕もNHKで観てみたが、仮面をかぶった演者たちがのそのそと歩いては、立ち止まって、昔の日本語を謡う、意味の分からない光景の退屈さに、途中寝入ってしまった。だが、1942年当時は「能楽の鑑賞という様なものが流行」っていたらしい。
何故、目が離せなかったのだろう。この場内には、ずい分顔が集っているが、目が離せない様な面白い顔が、一つもなさそうではないか。どれもこれも何んという不安定な退屈な表情だろう。そう考えている自分にしたところが、今どんな馬鹿々々しい顔を人前に曝しているか、僕の知った事でないとすれば、自分の顔に責任が持てる様な者はまず一人もいないという事になる。而も、お互に相手の表情なぞ読み合っては得々としている。滑稽な果敢無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだろう。そう古い事ではあるまい。現に眼の前の舞台は、着物を着る以上お面も被った方がよいという、そういう人生がつい先だってまで厳存していた事を語っている。難しいことは何も言っていない。たとえば、映画館で僕たちが映画を観るとき、映画を観ている僕たちの顔が、我に返れば、役者たちの顔と比べてどれほど間抜けで不安定か、という話だ。鑑賞者は作品を批判するものだが、実は作品の方も鑑賞者を批判している。傑作は鑑賞に耐えられるだろうが、逆にほとんどの鑑賞者は傑作からの批判に耐えられない。そういう洞察がある。
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。これはあまりにも有名な、小林の「当麻」の一文である。「美しさ」などという美学的観念は世阿弥の時代にはなかった、と言う。平明に言ってしまえば、美しい花とは能であり、花の美しさを気にするのは私たち現代の鑑賞者である。
II 無常という事
「当麻」の2ヶ月後、「無常という事」が書かれる。これは「一言芳談抄」という鎌倉時代の念仏者たちの言行を集めた昔の書物からの引用に始まる。その引用を現代の言葉に直すと、「比叡の御社で真夜中、女が巫女の真似をして、鼓を打ってうたっている。その心を問われれば、生死無常を思うとこの世のことはともかく後世を助けていただきたいと思ってのことだ、と」比叡山で突然、小林はこの短文を思い出して、心に滲み入ったと言う。
さて、小林のよく分からないような話は続く。
又、或る日、或る考えが突然浮び、偶々傍にいた川端康成さんにこんな風に喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。本質的には「当麻」と同じような思想である。だが、生きている人間の小林が「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だ」と言い切ってギャグにならず真剣であるのは、普通ではない。毎日、一日の半分以上を死者とだけ付き合って、自分の生を捨て切ったかのような人でなければ、とても言えない。そして、そういう人間でなければ、小林のこの言葉の意味の理解もしがたい。現代の無常に生きる者には解しがたくなっている。
「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」
(前略)歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れないし、動じない美しい形しか現れぬ。
と同時に、これらの文章が戦時中に書かれたことも忘れてはならない。
III 徒然草
その2ヶ月後、「徒然草」が書かれた。これはその名の通り、卜部兼好の「徒然草」についての感想だが、あまりにべた褒めなので驚く。
「徒然草」が書かれたという事は、新しい形式の随筆文学が書かれたという様な事ではない。純粋で鋭敏な点で、空前の批評家の魂が出現した文学史上の大きな事件なのである。僕は絶後とさえ言いたい。小林は、兼好の批評を評するにあたって、兼好自身の文章を引いている。徒然草第229段より、「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」(妙観は仏師の名前)。
小林の刀は鈍かった。多くの批評家とは正反対に、驚くべきことに、彼はどれほど刀を鈍くするかに苦心した。たとえばさきほどの「無常という事」では、「実は、何を書くのか判然しないままに書き始めている」と告白している。鋭い刀より鈍い刀の方が切れる、という意味ではないと思う。鈍い刀でも切ることができるような切り方でなければ本物じゃない、ということ。切ることが目的ではないのだから、切らなくていいものまで切ってはいけない。
IV モオツァルト
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| モーツァルトの肖像画 (小林秀雄はこの絵を気に入っていた) |
その後、「西行」や「実朝」という評論を書いたあと、1944年から1945年はほとんど沈黙している。戦争末期のこと。そして戦後1946年、小林は「モオツァルト」を発表した。これは小林の代表作の1つである。小林の影響を受けてモーツァルトを聴いてみた僕は、美しく退屈なヴァイオリンの演奏に、やっぱり寝入ってしまった。そんな僕でも、「モオツァルト」は面白かった。
スタンダアルは、モオツァルトの音楽の根柢は tristesse (かなしさ)というものだ、と言った。定義としてはうまくないが、無論定義ではない。正直な耳にはよくわかる感じである。浪漫派音楽が tristesse を濫用して以来、スタンダアルの言葉は忘れられた。tristesse を味う為に涙を流す必要がある人々には、モオツァルトの tristesse は縁がない様である。(中略)
ゲオンがこれを tristesse allante (引用者注:疾走するかなしさ)と呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一と言で言われた様に思い驚いた。確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。だらだらとくだらない手紙を書き連ね、猥褻な冗談ばかり放っているモーツァルト。今となっては、彼のスカトロジー傾向や「俺の尻をなめろ」という曲名を付ける面はよく知られている。そんな彼が「かなしさが疾走する」美しい音楽を作ったということから、彼の人間思想が小林によって逆算されていく。この手法は、以前には「ドストエフスキイの生活」でも行われ(正確には「『罪と罰』について」でと言うべきだが)、以後には「近代絵画」でも行われる(セザンヌやゴッホの章を見よ)。そんなとき、小林の目は優しくて深い。この「母(父)の眼」による文芸評論が小林という批評家なのである。
悧巧そうな顔をしたすべての意見が俺の気に入らない。誤解にしろ正解にしろ同じように俺を苛立てる。同じように無意味だからだ。例えば俺の母親の理解に一と足だって近よる事は出来ない、母親は俺の言動の全くの不可解にもかかわらず、俺という男はああいう奴だという眼を一瞬も失った事はない。(小林秀雄「Xへの手紙」)

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