2015/10/17

新世紀エヴァンゲリオン (TV版) 観ました

新世紀エヴァンゲリオン」(通称エヴァ)というアニメを知らないものはいないし、エヴァが与えた影響の深さは計りしれないし、散々語り尽くされてきた。それどころか、庵野秀明監督自身による「新劇場版」が作られている現在、TV版はもはや歴史的存在になったとも言える。わたしは最近 Hulu でTV版を観て、普通に大傑作だと思った。

新世紀エヴァンゲリオン Blu-ray STANDARD EDITION Vol.1
新世紀エヴァンゲリオン Blu-ray STANDARD EDITION Vol.1

I 急 (TL;DR)


結論だけ。エヴァのすごさは映像演出表現。以上。

II 引用 "..."


エヴァがどんなものの影響を受けて作られたか。あまりに多くの名前が陣列されている。
  • ガンダム: ロボットアニメとしての全体の構成。特に第1話の構成。精神的に対立する者同士の、分かり合えない対話。
  • ウルトラマン: 極端なまでのカメラワーク、特撮表現による都市描写、ウルトラマン独特の戦い方、それを見守る作戦部。
  • 岡本喜八: 映像のテンポ。
  • 永井豪: デビルマン、マジン・サーガ。
  • 諸星大二郎
  • イデオン
  • 漫画版風の谷のナウシカ
  • 謎の円盤UFO
  • 村上龍: 「愛と幻想のファシズム」
  • 旧約・新約聖書: アダムとイブ、天使、福音書、使徒。
  • 心理学: ハリネズミのジレンマ、splitting of the breast、introjection、oral stage。
  • 様々なSF作品: アーサー・C・クラークらの人類の進化・終末もの、コードウェイナー・スミス「人類補完機構」シリーズ、ハーラン・エリスン「世界の中心でアイと叫ぶけもの」など。
1人のクリエイターが生涯で影響を受けたものの羅列としては、決して多くない。しかし、一つの作品にこれらすべてをぶち込んだとすれば、話は違ってくる。エヴァが先行作品の引用にすぎないと批判される所以でもある。

あまりに多くのものの影響を受けて作られたということ。それ自体はいいも悪いもない。しかし、このような先行作品からの引用に満ちたカオスな作品を作るしかなかったことに、「僕らの世代の共通体験はテレビかマンガしかない」と言う庵野の表現者としての志向と苦心が見られる。ともあれ、弾幕のように溢れ返る引用というエヴァの粉飾を、評価しても批判しても仕方ない。そんなところにエヴァの本質はないからである。

III 多層構造 (LAYERD ARCHITECTURE)


エヴァは、エピソードごとにあまりに多様な方向性を持つ。とはいえ、基調となるのは次のようなものだ:
  1. ロボットアニメ
    • 人類の敵である使徒が現れた。
    • 主人公である少年少女は、エヴァといわれる巨大ロボットに乗り込んで、ビルが立ち並ぶ都市で暴れる使徒と戦うのだ。
    • しかし、エヴァの活動時間は数分しかないから、時間内に倒さないといけない。
    • 作戦室では、大人たちがあれこれ格好よいワードを使って指示したり状況説明をしたりしているぞ。
  2. 心理劇
    • 主人公の碇シンジは、母親がいない。認めてもらいたい父親も冷淡だ。そんな中で育ったせいか、シンジは、他人とぶつかり合って自分が傷つくことを忌避する。
    • シンジを自分の部屋に住まわせている葛城ミサトは、表面上あっけらかんとした性格だが、実はシリアスな傷を心に抱えている。
    • ヒロインの1人、惣流・アスカ・ラングレーもまた、過剰に明るく過剰に攻撃的な女の子だが、やはり心に傷がある。
    • ヒロインの1人、綾波レイは、過剰なほど無感情な女の子である。
    • シンジの父親碇ゲンドウは、控え目に見ても作中一番の精神異常者である。
    • 赤木リツコくらいまともかと思っていたら、母親との確執や男の趣味において、視聴者を最大限まで気持ち悪くさせる。
    • つまり、まともな主要登場人物はいない。彼らに一貫しているのは、自分の欲望・感情のためには、他人の生死や気持ちを何とも思わないその精神的醜さのイノセンス。
  3. 宗教的要素
    • 主人公が乗るロボット名、エヴァンゲリオン:新約聖書でもっとも重要な部分「福音書」の福音。
    • 敵の名称、使徒:イエスの12人の高弟のこと。
    • 個々の使徒の名前:主に聖書の天使名から取っている。
    • 使徒の出現や、使徒が目論もうとしているらしいサードインパクトについて記述された、(裏)死海文書:死海付近で見つかった古代の写本群であり、極めて古い聖書の写本があったことから宗教学的・聖書学的に最重要文献の1つとなっている。
    • 対使徒本部が利用しているコンピュータシステム、マギ:イエス誕生時に拝した東方の三賢者に由来。
普通なら、ロボットアニメと心理劇と宗教的要素をひとまとめにしない。少なくとも、3つのうち2つは副次的な小さなものに収まってしまうはずだ。ところが、エヴァはアクロバティックに3要素を全面に出した。

まず、表面上のフォーマットはロボットアニメとする。その下で、諸設定を神学用語で散りばめ、対立集団レベルでの戦闘動機をセカイ系的かつ宗教的なものとした。そして、深層レベルでは、使徒は単に抽象的な心理的トリガーとして働き、エヴァでの戦い・操縦は乗り手の心理を象徴するものでしかなくなり、各キャラクターの非健康的な心理が執拗に描写されている。

ただし、付記すると、どの層もそんなに面白いものではない。作画は素晴らしいしエヴァはかっこよく動くが、エヴァと使徒間のパワー関係が不明瞭すぎて、戦闘シーンに燃え上がる緊張感が欠けている。心理劇は、実写仕込みの尖ったカメラワーク演出によって見事に描かれているが、中身は醜い人間たちの自分勝手な気持ちにすぎない。神学用語も、意味深に張り巡らせているし、視聴者による解釈も可能になっているが、旧約と新約の混合から分かるように、半分くらいはファッションにすぎない。

IV 最終2話 (Do I love me? Take care of myself)


最終2話については大きな論争を招き、毀誉褒貶激しい。ネタバレになるから詳述しないが、要するには、最終2話で、これまでの数多の伏線と物語展開をほっぽり出した。脈略なく手抜きとも思えるメタフィクショナルな表現で、無理矢理話を終わらせた。しかし、そういう「いわく」をすでに聞いていたこともあって、わたしはこの最終2話をなんとも思わなかった。少なくとも、悪いとは思わなかった。

最終話の主題は、頑張ったと思う。「いやでいやで仕方ない現実から逃げる主人公が、最後には現実を肯定する」それは、弱き者が現実で生きていくための処世術的・通過儀礼的な思想構築だ。それは十分に深い普遍的なテーマだと思う。

エヴァという奇妙な作品は、最終話でそのテーマを、1ミリの説得力もなく描写している。24話までの神学的ロボットアニメの流れと伏線をほとんど無視した物語の収束だし、大塚英志に「自己啓発セミナーのプログラムそのもの」と言われるくらい気持ち悪い結末だし、確かに起承転結もカタルシスもなにもあったものじゃなかった。

最終2話がああなったのは逼迫した制作スケジュールのためだ、という話がよく聞かれる。しかし、調べると、庵野はそれを否定している言葉も発している。実際、わたしは、最終2話の内容と表現がまずいとは思わない。もちろん人的リソースと時間は有限なのだから、最終2話に多量の作画をする時間が割けなかったというのは、そうだったかもしれない。しかし、「(限られたリソースで)どう表現するか」問題と「何を表現するか」という問題は別だ。

最終2話は、間違いなく庵野がその血を絞り出して表現したものだ。物語よりもまずそのを味わえ。

V ものすごく美しくて、ありえないほど近い (Extremely Beautiful & Incredibly Close)


エヴァは、あまりにも内省的な主題を、そこから最も程遠いアニメ映像空間で、表現しようとした。そして表現してみせた。カメラワーク、背景、キャラクターの動きと姿勢、カッティング、テンポ、音楽、字幕……すべてが徹底して内面を深く描写するための道具として活用されている。エヴァのどのカットも凡庸ではない。1シーン1シーン、なぜその表現方法がとられたかを考えながら観てみること。

従来、映像メディアにおける内面の描写は、どうしても文字メディアほど直接的な表現ができずもどかしさが残った。エヴァはそれを反転させた。映像が文字よりも、雄弁に、容赦なく魅力的に、精神を映した。

ものすごく美しくて、ありえないほど近い。多くのクリエイターはこれを見て戦慄した。だが、いまだエヴァを超えることはできていない。

VI 付記: 旧劇場版と漫画版について


一応、旧劇場版を観て、貞本義行による漫画版も読んだけれど、TV版だけで十分だったというのが個人的感想。

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